ようこそ、川崎教会へ

No.241 3,000円で一喜?

エッセイ「多摩川べりから」
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 神奈川教区の宣教方策会議が昨土曜日に行われ、川崎・鶴見地区委員長という職責で出席した。職責でなければ恐らく縁のない(というか、あまり縁を持ちたくない)会合なのだ。  この会は次年度の教区宣教方針や予算原案を話し合うもの。ここに加われば神奈川教区が何を考えどこに進もうとしているのかおおかた理解できる─それが意味あることかどうかは別として─。だがやはり、その場にいることの違和感はいつまで経っても拭えそうにない。教区に対するある種の拒絶感・拒否感が今後もしばらくは抜けそうにないからだ。  何がどうと具体的に挙げても意味はないからそれはしない。ただ、例えば一県一教区というのがそれだけでどれ程アドヴァンテージを持っているか、わかっていない。地方教区から来た者も少なからずいるであろうに、そういう人たちはやはり口を噤んでいる。だからなおいっそうわからずじまい。しかも信じられないほど巨大な教会から教区常置委員が出ているわけで、彼らの目に地方教区の、存在そのものが危ぶまれる教会の現状など、見えもしなければわかりもしない。腹の立つことにどうやらわかろうともしていないらしい。その空気が満ちている会合に、どうして積極的に関わる必要があるだろう。よく「もっと積極的に担うことを通して、君の問題意識を広めてゆけば良い」と助言くださる親切な方々があるが、それは少し都合良すぎないか。イエスの所作を通して見れば、存在の危ぶまれる者たち、捨て置かれたいのちへの共感が生まれないわけはないのであって、それが生まれもせず想像だにしない者たちと一緒にいる必然は、わるいがわたしにはない。  ただ一点。今まで教区交付金の増額を申請してもぼろくそに言われて前年同額に抑えられていた地区活動交付金が、川崎・鶴見地区の申請通り3,000円増額になりそうだ。セコンドがあった。この時ばかりは嬉しかった。
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