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No.244 青春の日々を思い起こす

エッセイ「多摩川べりから」
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 先日、高校時代の後輩が訪ねてきてくれた。  二級下になる彼とは、人数超過で本館に入れなくなった16名の特別な、その名も「別館」で一年間一緒に生活していた間柄。通常は一年に3〜4回ほど「部屋替え」と呼ばれる組み替えが行われ、特に夏前から三年生は三年生だけの部屋になるため、実質年間の2/3は1・2年生だけの部屋割りになる。だが、別館はもともと16名(うち3年生4名、1・2年生各6名)という体制だったので、一年間16名が変わることなく一つの建物に同居した。そのため、他の寮生たちより良くいえば結束力・団結力、有り体に言えば悪巧み力が強かった。私としてもその一年が今の自分に与えた影響の強さをそれとなく自覚していたが、1年生で別館生活をしてきたこの後輩にとって、その影響は私以上に強かったようだ。話の節々で彼の生涯に影響を及ぼした一人として私自身も登場することにいささかこそばゆい感覚もあったが、確かにそうだったのだろう。高校時代の寮生活は、まさにそういう場なのだった。  そしてそういう場を、本人たちに気づかれることなく提供し続けてくれた学校や教職員、そして家族の存在が実はとても大きかったのだ。彼も私もあの学校を選んだ最大の理由は「親元を離れる」ことだった。離れたくてしょうがなかった。そしてまんまと離れることに成功した。だが実は「離れさせてくれた」のだ。  今、親となってその立場を再構成しているか、時々自問する。幼稚園の場で多くの(私より若い)「親」たちを見つめながら、わたしたちが彼らの良い手本に本当になっているのか、時々自問する。教師・牧師として立ちながら、自分が恩を受けた人たちに近づいているかどうか、時々自問する。受けたことをその通り受け渡すことは、簡単なことではないと気づかされながら。  「絆」とは、実はそういうことなのではないかな。
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