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No.259 新たな同窓生たちへ

 農村伝道神学校の卒業式に出席した。
 今年の卒業生は4人。うち一人は、補教師試験の教区推薦が受けられず、やむなく信徒伝道者として遣わされることになった。ここにも現在の教団の抱える深刻な問題の一端がある。わたしたちは、なんとも困った事態に連続して直面しなければならない、そんな時代なのだ。
 そもそも、牧師というのはどういう存在なのか。検定試験とはそういう前提がさも「既にあるもの」として行われるということを、限界だと捉えることをせず、権威を押しつけることで通そうとする。教団の困った事態とは,端的に言えばこの「権威の押しつけ」に他ならない。そして、権威の押しつけに慣らされた者が、「牧師面」して全国に散っていくという構図。これが各地の教会で混乱を引き起こさないはずはない。
 一方、社会は「英雄待望」なのだとか。「ハシズム」と揶揄される市長がそういった「英雄待望」論を背景に、メディアの関心を巧みに利用しながら強権的に政策を推し進めることが、むしろ喜んで受け入れられている状態。そういった願望が社会の片隅に存在する教会にも影響しているのだろうか、「権威の押しつけ」の再生産をする牧師が一部で望まれていたりする。必ずしも積極的な支持ではないかも知れないが、権威に対する憧憬を代弁する者がいてくれれば、それに同調するだけなら責任を問われないですむとでも思っているのだろうか。
 生きる力とは、自分の頭で考えて、その考えを地道にでも実現してゆくことを指す。誰かに代弁してもらうとか,誰かに決定してもらうとかとは正反対であるはず。イエスが癒やしの奇跡を行ったのは、病む人が生きる力を取り戻すようにという祈りだったのではないのか。
 新たな同窓生の前途が多難・困難であるからこそ、祝福を心から祈る。