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No.260 違いの中から生まれるもの

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園の卒園式が無事終わり、41名の子どもたちは元気にここを巣立っていった。  この子どもたちは,わたしが初めて川崎に越してきた時に、兄や姉の送り迎えについてきていた赤ちゃんだった。あの赤ちゃんたちが、おりーぶになり、林間に行き、飛び降りをやってのける。5年という年月が例えばわたしにとっては多少胴回りが大きくなる程度の変化しかもたらさないのに、彼らには驚くべき成長をもたらす時間なのだ。同じ時間の流れが、人にとって全く違った経過をもたらすとは、なんだかとても不思議だ。だが、考えてみたらあり得ることだ。彼らの過ごす一年は人生における1/6、わたしの過ごす一年は人生における1/51。9〜10倍の濃密さではないか。  わたしにはわたしの時計が心と体に埋め込まれているようだ。同じ人が二人といないように、時の流れも人によって全く異なっているのだろう。だがどこかで、「時間は誰にとっても等しく同じ」であるように思い込んでしまうものなのかも知れない。それに気づかないから、何をやってもうまくいかないように思ったり、特定の誰かに邪魔されているように感じたりする。その思い込みが人間関係に摩擦を生む。  違うことを認め合うのはなかなか難しい。考え方も感じ方も、流れる時間までも違っているのだ、もはや「認め合う」どころの話ではない。「違い」敷かないのだから。だがその違いの中から、響き合う何かを見つけ出して一緒に何かをつくり出そうとする。それがわたしたちの生きている意味のひとつなのだろう。  41人は、次のステップへと踏み出した。わたしたちも、新しい子どもたちを迎えて新しいステップを踏もう。彼らはそこで、わたしたちはここで。心を寄せ合ったことを思い出に、それぞれの時間を紡ぎ出していこう。
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