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No.261 心が軋む日々

エッセイ「多摩川べりから」
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 被災地のがれき処理問題について、先週日曜日に川崎駅前で大きなイベントがあったという。細野大臣、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長がそろい踏みして、被災がれき受け入れキャンペーンを張ったようだ。  東北にルーツや関わりを持つ者たちは、このがれき処理問題に多かれ少なかれ心を痛めている。東北に住む友人たちのFaceBookなどでもこのことが取り上げられているものがある。  がれきをどう処分していったら良いのか、被災地の復興に資する処分のあり方とはどういうものなのか、放射性物質の影響をどう考えたら良いのか。これらの問題に対する両方の言い分ともそれなりに理解できるとなると、痛むのは「ルーツや関わり」そのものだ。文字通り心が軋む、痛むのだ。  単に感情的になってはいけない。「絆」だとか「がんばろう」だとかを、がれきの受入について盛んに持ち出し感情に訴えただけでは、問題解決には至らないわけで──そもそも環境大臣がもはやこういう手法しか打つ手がないというのもきわめて寂しい話ではあるが──やはり冷静な議論が生まれなければならないだろう。  そして気になるのは、首都圏で既に焼却した一般ゴミの焼却灰が放射性物質に汚染されていた問題。この焼却灰の一部が、例えば秋田県に運ばれ、既に埋め立て処分されてしまったこと。結局都市部のゴミ処理のツケが地方に回る構図は「絆」や「がんばろうニッポン」の精神から観てどうなのだろう。原発が地方に置かれ続ける構図と全く一緒であり、なおかつ福島の悲劇後にもその構図が温存されているということはどう考えたら良いのだろうか。  この幼稚園の雨樋の下からも基準値を大幅に下回るとは言え放射線が検出され、市のHPに掲載された経験から、雨水の行方──汚泥・焼却灰──は人ごとではない。心の軋む日々はまだまだ続きそうだ。
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