ようこそ、川崎教会へ

No.263 人と一緒に喜ぶことは

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 教会は定期総会にむけて役員会で議案・報告の最終確認を終えた。幼稚園は卒園式に出られなかった一人の子の特別な卒園式を6日に行い、同日、園バスの試乗を行って、いよいよ新旧交代で新年度モードに突入。神学校は5人を送り出し、2人を迎えたが、事情があって一人だけの入学式。PTAは新しい役員を迎えて5月総会への準備が始まった。川崎・鶴見地区も21日の総会・学習会にむけて細かな準備が始まった。  例年のことだが、書き並べてみるとなんだかとんでもなく多忙の印象を与えてしまいそう。確かに忙しくはしているが、その一つひとつの状況を十分楽しんでもいる。もしそうでなかったら、とても体が持たないだろう。  児童精神科医の佐々木正美先生が、赤ちゃんの笑顔について話されたことがあった。生まれて間もなく赤ちゃんは笑顔を習得する。それは自分の笑顔を見ると喜ぶ人がいるということを発見するからだ、と。驚いた。赤ちゃんにそんな感性があったのか、ともちろん驚いたのだが、それ以上に、人間として生きるということの本質が、人間に成り立ての赤ん坊にはじめから備わっているという事実に直面したことが驚きだった。  つまり、わたしたちはみな赤ん坊だったのだ。皆、生きるということの本質を、その時には少なくとも直接的に表現できていたのだ。だがいつの間にか、「人が喜ぶことこそが自分の喜びである」と感じる感性を失っていった。他者が喜んでくれることよりも、自分が喜ばしいことをまず第一に求めるのが当たり前のことだと、いったいいつから考えるようになってしまったのだろう。皮肉にもその結果、人生は苦難のみが押し寄せるものとなってしまった。  共に喜んでくれる人がいるということは、どれだけ人生を豊にしてくれることだろう。悲しみに暮れる人と共に、その人を悲しませるものに立ち向かってゆくこともまた。
もっと見る