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No.276 政治が人災そのものという現実

エッセイ「多摩川べりから」
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 政府の国家戦略会議フロンティア分科会で「集団的自衛権の憲法解釈を見直す」報告書が出されたという。これまでは「持っているが行使できない」とされてきた見解を「持っていて使うことが出来る」に改めようというわけだ。  そもそも国家戦略会議は、経済政策を中心にビジョンを示そうとしていたのだと思っていたわたしにとって、このような文字通りの「戦略」を練っていたとは驚きだった。日本版安全保障会議の設置も求めたというから、いやはやである。こうなると、先の「原子力規制委員会設置法案」で原子力の平和利用から安全保障への転換が盛り込まれたり、JAXA法が改正され、宇宙も安全保障の分野で利用できるようにされたことが、一連の黒い意図だったことがさらに明らかになったと言えよう。  経済の行き詰まりを打開する手立ては戦争だと、今でも本気で考えているのだ。未だにそうなのだとしたら、人類の英知など本当に馬鹿にされているではないか。たぶん学歴も家柄もわたくしなどとは比較にならないほどお高いお歴々が、ご自分の能力をその程度であると告白させていて良いのか。  折しも、福島原子力発電所の事故は人災であったと、政府事故調査委員会が報告書をまとめた。災いは人から来る。人に由来するのだ。戦争などその最たるもの。人災以外の何物でもない。  原子力も宇宙も経済も、そして人身も、制御できると自惚れることに対して、自然は鋭い警告を発したのではないか。人間に制御できないのは自然・天災ばかりではない。実は人間自身の暴発を最も制御できないということなのではないか。  わたしたちは「政治」が「人災」そのものであるという、なんとも困った事態に直面させられている。そしてさらに困ったことに、これには他の選択肢さえもないのだ。
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