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No.279 癒やしの食

エッセイ「多摩川べりから」
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 心や体を病んだ人に、心を込めた料理を差し出し、語られる言葉に耳を傾ける。いつの間にか訪れる人は重荷をそこに置いて戻っていく。そんな癒やしの空間「森のイスキア」を主催する佐藤初女さんのお話しを聞いた。  御年91歳。しかし張りのある声で90分の講演をきっちり務められた。それは単なる健康法の成果ではなく、初女さんという人間のトータルな充実度が現れているからのように思えた。  彼女はまず「作らなければ食べられなかったのに、作らなくても食べられるようになった」と話し始められた。手を使わなくても暮らせるようになったのだ、と。だが、手は使わないと使えなくなる、とも。  食べるものを作るということは暮らしの中心だとはっきり仰った。食材を調理する、ただそれだけのことが実は「いのちの移し替え」の瞬間に立ち合っていることなのだと。おいしく食べたものは自分の体の中に入り、生涯一緒に生きていくことになる。食材がそうなるために自分の命を捨てる瞬間が「いのちの移し替え」なのだ。だからこそ作らなくても食べられるということではその瞬間を経験出来ないし、食事が単に「食べる」という行為に貶められ、大事なことが全て薄れてしまう。だから手作りにこだわりたいのだと。  三度三度全ての食事をそのように誂え、支度し、食すことはもはや考えられない時代かも知れない。家族が食卓を囲むことさえ限られているのが現実。だが、初女さんが示してくださった地平を、まだわたしたちは想像できるし、それが確かに大切なのだと感じられる部分があることは救いなのではないか。確かにそれは理想であり、憧れであり、自分の日常に反映することはハードルが高すぎるかも知れないが、「食べる」というありきたりの行為の意味を、弥が上にも見つめ直させられる、挑戦的なお話しだった。  手軽な「癒し」なんてものは、言葉の綾でしかないのだな。
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