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No.283 どう受け止めたらいいのだろう

エッセイ「多摩川べりから」
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 フリージャーナリストの山本さんがシリアで銃撃戦に巻き込まれて亡くなったニュースは──さまざまな理由があるのだろうと想像するが──、近年記憶にないほど報道各社が取り上げて詳しく報じられている。  山本さんと出身大学が同じで、同窓生の中たった二人のフリージャーナリストの内の一人だという上杉隆さんは「彼女の凄さは、その「ふつうさ」にあった。一貫して現場主義を貫きながら驕るところが少しもない。普通に街にいたら、誰一人ジャーナリストとは思わないだろう。」と書いておられる。  これは例えばわたしの仕事にも同じことが問われている気がする。牧師という仕事も現場主義には違いない。だが、その現場主義に謙虚でいられるのか、驕ってないか。残念ながら上昇志向の裏返しとしての「現場(至上)主義」というきわめてひねくれた感情が、かろうじて自分を立たせているという感じがしてならない。「ふつうさ」の持つ凄さ──凄くなくてもいいのだが──とは「ふつう」のままで「ふつう」でいるその難しさにこそあるのだろう。なんとなくだがわかる気がする。  「華やかなオリンピックの陰で砲弾が落ち、空爆の下で暮らす人々がどんな思いで生きているのか伝えたい」と話していたという。  今日、平和月間集会で「お笑い米軍基地」をみんなで観ようとしている。主催する小波津正光さんが、舞台誕生のきっかけを語っている。2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。当時東京にいた小波津さんが目にした新聞の一面は「巨人渡辺オーナー辞任」と「アテネオリンピック開幕」だった。「見てご覧!アテネで聖火が燃え上がってるころ、沖縄ではヘリコプターが燃え上がってるわけさ!」。  受け止める側が試されているということなのだろう。いのちをかけて伝える人の思いを。
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