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No.285 自己決定の経験を積もうよ

エッセイ「多摩川べりから」
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 ある金曜日におもしろい電話がかかってきた。  未就園児の母のようだ。翌日(土曜日)に幼稚園が行っている「サタデーぴよぴよ(以下、サタぴよ)」に参加したいらしい。カレンダーで確認し、予定通り行われることを告げると「でも明日は大雨警報が出ていますよね」と。  最近こういった言い回しがあちこちで聞かれるようになった。だが、電話を受けているこちらとしては、「だからどうなんですか?」と言いたくなる。申し訳ないが、とても呆れる言いぐさに聞こえてしまうのだ。  この母は、わたしに何を望んでいるのだろう。「明日は警報が出ていますがサタぴよはありますか」という問い合わせなら「予定通りやりますよ」という答えになる。「サタぴよはありますか」と聞くから「ありますよ」と答えたのに「でも警報が…」という会話の流れから、①「警報が出ているのにやるのですか」という批判、②警報下での幼稚園の対応についての問い合わせ、③そもそもこちらに結論を丸投げ、が予想された。声の感じからは①でも②でもなく、どうやら③。ヤレヤレ、では「そうですね、警報が出ていますから来ないでください」とでも言っちゃったらどうするのだろう。  自己決定は大切な行為だ。自分のことがら、自分が保護責任を負っていることがらについて、自分で考え結論を出すことはとても大切だ。上手くいったら自分の手柄、拙くなったら他人のせいでは、無責任の誹りを免れない。だが、困ったことに、最近こういった言い回しがあちこちで聞かれるようになっている。しかも年齢の問題ではない。例えばPTAの会合などでも…。挙げ句丸投げ(=上部機関の機関決定)を求める始末。そんなことをしてしまったら結局不利益を被るのは自分なのに。  「決められない日本」は、何も政治の世界だけにあるヘンな話ではなくなっている。大丈夫なのだろうか、このままで。本当に。
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