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No.287 バザーを終えて

エッセイ「多摩川べりから」
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 我が家には朝、目覚めの音がある。  中学生の次女はほぼ毎朝、練習のために朝早く家を出る。平日ならば妻も起きる時間だが、週末は親の方が少しゆっくりする。そのまどろみを破るのが、水筒に氷を入れる音。特に試合になる週末には二本の水筒にたっぷりお茶やスポーツドリンクを入れて出る。その氷の音が目覚めの音なのだ。  それが昨日最後になった。いよいよ部活を引退するのだ。いつもの土曜日なら耳障りな音なのだが、その朝はなんだかちょっとだけ感慨深かった。  川崎の中学校に給食はない。だから毎朝弁当を持って出かける。時々週末には自分で用意したこともあったようだが。わたしが子どもの頃は中学校でも給食があったが、週末だけは母の用意するおにぎりの弁当を持って、結局毎日朝から夜遅くまで部活だった。当時はまるで自分一人の力で生きている気になっていたが、実は親にもたくさん迷惑や心配をかけて成長してきたのだと、今頃になって実感する。  知らなくて済むことは、それはそれで幸せなことに違いない。だが事実を知るようになって、幸せだった思い出は更に意味を持って響いてくる。いろんな人の手を借り、愛情を注がれて、人間はようやく成長する。手を貸す人も愛情を注ぐ人も、そんなことを貸しとも思わず当たり前のように、しかも少しもひけらかさずにいてくれるから、何も知らないまま幸せに大きくなるのだ。恩とはそういうものなのかも知れない。  バザーの日、幼稚園の子どもたちはひたすら楽しそうに走り回っている。その陰に母や父の隠れた労働奉仕や愛情ががたっぷり注がれているのだ。いつの日か、彼女ら・彼らもそのことに気づくときが来る。その日にはそれを懐かしみ喜びを更に深く感じられるだろうか。そういう成長を是非に、と願う。  心地よい疲れが押し寄せる夕暮れだった。
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