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No.292 崩壊が止まらないキョウダン

エッセイ「多摩川べりから」
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 先週、川崎教会のブログページビューが異常に増えた。アクセスログを辿ると、「総会」「日本基督教団」などの検索キーワードが並んだ。特に23日がピークだった。これらのことを考えると、第38回教団総会が開かれた先週、その情報を求めて川崎教会のブログにアクセスした、あるいは前回第37回総会で議場の様子をブログにアップし続けたことが検索にかかったと予想される。  今回の総会の様子もメールマガジンとして逐一送られてきた。それをブログに転載することも、時間をやりくりすれば出来なくはなかった。だが、やらなかった。期待してくださった方々には申し訳なかった。どうにもわざわざ掲載しよう、知らせようという気が起こらなかった。そして案の定、第38回総会はその気持ちを裏切ってはくれなかった。  今回、総会に上程もされず審議未了・廃案となったものは、北村教師免職関連議案、聖餐を巡る議案、性差別を巡る議案、沖縄との「合同」を巡る議案。反原発・脱原発こそ常議員会付託になったが、それ以外のいわゆる「社会的課題」は全て廃案。更に建議案として提出された「オスプレイ」を巡る反基地・平和関連議案は総会で取り上げない決議もなされた。もちろん3日間の日程では時間が限られているのだから、十分に審議できないという事情はわかる。だが、では何を取り上げ、何を取り上げないかは、こうやって書き出してみたらその意図が明確に伝わってくる。何がやりたくて何がやりたくないか、触れて欲しくない事柄はいったい何か。全て透けて見える。  この総会が「伝道する教団の建設」という主題の下で開かれていることに愕然とする。現に足下で苦しむ人・悲しむ人の声に一切耳を傾けず、いったいわたしたちは何を「伝道」するのか。だれに向かって「伝道」するのか。  確かに、三役選挙・常議員選挙は全て現体制に好意的・主導的な者たちで締められた。結局、それだけがやりたかった中身なのだ。
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