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No.296 冬支度の季節

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園は全体が一番活動的になる「えんまつり」が終わり、晩秋の訪れと共に静かな「待望」の季節を迎える。教会暦は今日が「終末主日」。一年で一番最後の一週間になる。神さまの恵みを指折り数え、感謝しつつ、新しい一年を「待降」として、やはり「待つ」季節への備えをする日々なのだ。  「冬支度」というのは秋の季語だ。この季節、特段そのような意識を持ったことが久しくなかったな、とわが身を振り返った。私の故郷は雪国で、この季節は冬を迎える準備に暇がない。「雪囲い」といって、家の窓を降り積もる雪や屋根からの落雪に備えて覆ってしまう。昔は本当に板で囲ってしまったから冬は日中でも暗かった。今はプラスチックの波板などがあって、冬でも十分に光を通すようだ。それでも地面と屋根が雪で続いてしまったらおんなじなのだが…。この雪囲いをすると、どんなに小春日和であっても薄暗い家の中が侘びしく思えて仕方なかった。  クリスマスが冬至を過ごした頃に行われるのは、だからとても意味があるように思う。クリスマスに備える四週間──アドヴェントは、光の到来を闇の中で待つ季(とき)。雪囲いの薄暗い家の中で侘びしく長い夜を過ごす幼かった私にとって、その日々の後に迎えるクリスマスは、まさに喜びが訪れる時だった。子どもにとってはクリスマスも、その後のお正月も、それがあるからこそちょっと怖い闇をも何とかやり過ごせる、そういう望みの季節でもあった。だからこそ「待降」は「待望」なのだ。  先週末、冷たい雨が降りしきる中だったが、横浜ベイスターズのファン感謝デーに出かけ、翌日は等々力競技場でホーム最終戦となる川崎フロンターレの試合を観戦した。シーズン終了を告げるそれぞれのセレモニーの瞬間に立ち合って、「これも冬支度と言えば、そうかもなぁ」と。そうしたら余計、無意識で来た年月を思ってしまったのだった。
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