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No.298 取り戻す!

エッセイ「多摩川べりから」
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 「取り戻す!」というスローガンがテレビから流れてくる。様々勢いのよい発言がそれに続いて流れるのだが、結局のところ「取り戻す」のは三年前の栄光=政権復帰だけのようだ。そのためだけに撒かれる外交だとか経済だとか教育だとかの釣りエサ。それさえも、本物のエサなのか疑似餌なのか…。  民主党政権下で国会が解散されたのだから、民主党の政権運営が問われるのは当然のことだ。この三年間民主党政権がどうだったのかを考え、続投するべきか変更するべきかを有権者は一票をもって結論づけることになる。だから当然政権側は三年間の成果をアピールするだろうし、対抗勢力側は三年間を否定し、自分たちはもっと良いとアピールする。  では、それらを見聞きしてわたしたちは何をどう評価するだろう。  国民にとって、失ったのは三年間ではない。そのおよそ10倍の年月をわたしたちは失い続けてきた。バブルの狂乱と急激な収縮、そしていわゆるバブル後の20年。中堅と呼ばれる社会を支える人たちの人生は失われ続けてきたさなかにある。私の人生で言っても、その60%は失われ続けた時間だった。その損失は誰に責任があるのだろう。あるいは大震災と原発事故。それこそ言葉通り「想定外」の出来事ではあったろうが、その後の対応が余りにも杜撰なのは誰の責任だろうか。「政治不信」とはこういうことの積み上げの結果なのであって、あえて「誰」を問うならば、政治(家)全体、政治システム全体が挙ってその責を負うべきではないか。  というと「新統治システム」を盛んにアピールする某党の影がちらつく。だが彼らはそもそものスタートを間違っている。この国で憲法は最初の2〜3年を除いて全く機能してこなかった。それは憲法の責任ではなく、憲法に向かい合う者の無責任だった。だからまず、64年間のツケを払ってもらおう。  取り戻したいのはわたしたちの方なのだよ。
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