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No.301 想像する心の貧困

エッセイ「多摩川べりから」
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 12月26日は川崎頌和幼稚園の同窓会クリスマスだった。小学生を中心に110名近く集まった。  同窓会のクリスマスは燭火礼拝から始まる。幼稚園時代にはおそらく意味もよくわからなかったであろうのに、とにかく毎週水曜日には三階に上がり礼拝を捧げてきた。そんな彼らのほとんどは、卒園してその習慣から完全に切れてしまっている。まして久しぶりに礼拝堂に集い、久々に会った友だちとの会話も思いも膨らんでいたことだろう。だが、驚いたことにに、渡されたろうそくに火を燈すと、様々な魅力に引きずられることなく礼拝へと心を向け始めた。語られる言葉に集中している。まるで「オレたちの心を勝手に決めつけるなよ」と言うが如く。  授業中立ち歩くだとか授業が成り立たないだとかの、いわゆる小1ギャップが取り沙汰されて久しい。ここにいる彼らももしかしたらその渦中かもしれない。現実には彼らも心の中に苦しいことや発散しきれないことを抱えているかもしれない。だが、それらをひとまず脇におくことができるまでに成長している、あるいは成長の途上にいるではないか。みごとだ。  一体誰が、短期間で成果を求めようとしてしまうのか。人の成長は日々の課題の積み重ねであって、恐ろしく長い時間がかかることなのではないのか。新しい政権は「混乱した教育を「取り戻す」」というのだが、どのような混乱を何をもって取り戻すというのだろう。なんだか空虚な言葉だけが飛び交い、「気合い」があれば何とかなると言っているようにしか見えない。何にでも「決断」と「実行」を求めるというのは、逆に言えば待つことが出来なくなっているだけの話だ。長い時間を想像する心が貧困になっているのだ。  成長し、頼もしくなった顔を見せてくれた彼らに、励まされた。願わくは、乗り越えられる程の試練によって彼らを更に成長させてくださるように。
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