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No.307 新入園児の準備登園で

エッセイ「多摩川べりから」
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 新年が明けて1月に入るとすぐに、幼稚園では「園長パーティ」という楽しい時間がやって来る。卒園するおりーぶの子どもたちを、園長のリビングルームに招待してお茶会を開くのだ。子どもたちには、正式な招待状が手渡される。期待に胸膨らませ、少しドレスアップしたかわいい紳士淑女が我が家に集ってくれるのだ。  その子どもたちと、ジュースで乾杯し、おやつを食べながら会話を楽しむ。そう、もう会話を楽しめる子どももいるのに驚くことしばしば。初めて幼稚園の門をくぐった時にはあんなに泣きわめいていたあの子が、自信たっぷりに園長にいろんな話題を寄せてくれるまでになったのだ。  そんな姿を見ると、ドレスやスーツだからというだけでなく、確かに彼ら/彼女らは一人の人間なのだと思わされる。もちろん「子ども」ではある。けれども、子どもではあるけれども「一人の人間」なのだ。  一方、私たちは大人だ。大人として子どもに接する時、子どもはいつでも大人になりかけの存在であって、何事も中途半端な存在だと思ってしまう。だから何とか立派な一人前にさせようと、教え諭し、いろいろとあの手この手を差し出す。だが、では大人は本当に完成された一人前なのだろうか。わたしがあれこれ差し出して導こうとするゴールは、本当に完成された一人前になるための道なのだろうか。「子どものため・おまえのため」と言いながら、本当は親自身の対面のためだったりはしないだろうか。それが余計なお世話や、大人の独りよがりではないと心から断言できるだろうか。  いつでも、その問いの前に立つ者でありたい。その問いに明確な答えを出すことは難しいかも知れないし、確かに失敗の連続ではある。が、少なくともその問いから逃げないで、その前に立ちたい、立ち続けたいと思う。  第一子が3歳なら、親もまた経験3年。もう3歳? まだ3歳?
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