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No.309 自己表現する子どもたち

 幼稚園の卒園児たちには、手作りの卒園アルバムが配られる。子どもたちは幼稚園での思い出を絵にしてその表紙を飾る。大きな紙に鉛筆で書いてクーピーで色を塗る。なかなかの力作が揃う。
 幼稚園をイメージすると、多くの人がまるでテレビ番組の「おかあさんといっしょ」風に保育者たちが立ち居振る舞うと思っていたりする。笑っちゃう。現場では「みなさ〜〜ん!」なんて言いはしない。子どもの世界をイメージすると、「みんな仲良く」なんて、大人だって絶対出来やしない事柄を平気で想像していたりする。もしそれが可能なら、現場は何と気楽なことだろう。
 例えば表紙絵を描く卒園生たちに「楽しかった幼稚園の思い出」なんていう課題を出したらどんなだろう。もちろん楽しかったこともいっぱい描くだろうけれど、どこか胡散臭いのではないか。楽しかったこともある、同じだけ辛かったことや苦しかったことだってある。子どもの世界だっておんなじだ。大人の──しかも自分では絶対出来っこない──イメージを、どうして子どもになら押しつけられるのだろう。それは、裏を返せば、大人の願望、それも夢破れてしまわざるを得なかったものが投影されているのだろう。
 今回子どもたちの絵を見ていると、妙に小さく、しかしはっきりくっきりとロッカーのお道具を描いているものがあった。その子にとって、そのロッカーこそ「世界」だった。描いた幼稚園の思い出は、自分の世界・分身であったロッカー。何とすごい絵だろう。しかもそれをしっかりと表現するのだから。
 確かに一人ひとりが実にユニークに自分を表現している。大人の目線しか持たないわたしは、その視点のバラエティの豊かさに、ただただ「へぇーっ」と感心するのだ。
 「天国はこのような者の国」。今さらながらそのことばの真実に驚く。大人がそれだけで完成しているわけではない事実を、受け止めねば。