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No.315 心境の変化─角が取れたか変節か─

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園の園長として川崎小学校の入学式に参列した。PTA会長としてではなくこの席に臨むのは二年ぶりなのだが、この二年で自分の心境に大きな変化があったことを改めて気づかされた。  PTA会長として公での初仕事は入学式での挨拶。そのため来賓が集う校長室にまず出向くのだが、二年前、その席を埋めていた地域の方々のほぼ全員がどういう方なのか全くわからない中、わたし一人エトランゼ状態だった。もちろんそれまでも一来賓として参列したことがあったから、お顔ぐらいは見知っていたが、相手の方もわたしについては特段興味を示さなかったし、会話も弾むわけがない。ところが二年の公務を経た今、集うほぼ全員がどういう方なのかわかるし、当然ながら共通の話題や今後の予定などもあって話が弾む。大げさだが隔世の感がある。  公立小学校は私立幼稚園などと違い、地域の方々──具体的には学区の町会長さんたち──との関係を重視する。140年の歴史と伝統となればなおさら。PTA会長の仕事のひとつはその方たちとの良好な信頼関係の構築にある。思想・信条の違いはあっても、ひとまずそれを乗り越えて、相互に信頼し合うことが必要なのだろう。昔の自分には何が何でもできなかったことだ。  「小異を捨てて大同につく」とは、選挙が間近になるといつでも聞こえてくる言葉。だが、違いは本当に「小異」なのだろうか。思想・信条の違いとは大異ではないのか。だが、大異の向こうに理解し合える部分、共鳴できる部分がある。となると、人と人との関係は「大異を捨てて小同につく」ことに極まるのではないだろうか。  一方、「真理」が取りざたされる我らの世界では、その意味で「小異」が大問題を呈する。それに辟易し続けていることが、わたし個人の心境の変化に大きく貢献しているとは、なんとも皮肉な話しではないか。
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