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No.320 裏ばかり見たいわけではないのだが

エッセイ「多摩川べりから」
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 国民栄誉賞のセレモニーとして、東京ドームでジャイアンツのユニフォームを着てプレートアンパイアの位置に立った安倍首相の背番号は96だった。その意味を問われた彼は「第96代首相だから」と記者団に語った。その顔は高揚していた。その紅潮は始球式・セレモニーの故だけとは思えなかった。  かつて、信頼していた大先輩が叙勲されるというニュースを聞いた。気骨ある伝道者だったが、叙勲を無邪気に喜んでいるその姿に、拍子抜けというか、淋しさを覚えた。その他にも叙勲された伝道者にたくさん出会った。  牧師というのは、その職業の他、たとえば教誨事業や教育・福祉分野などで様々に用いられたりするものだ。それがある年数を重ねると加盟団体から推薦されるらしい。叙勲を断ると、その加盟団体は次から選ばれないというのだ。そこで、本人が好むと好まざるとに関わらず、団体のために受けなければならないという話も聞いた。なるほど。だがなぜかその話を聞いてもとてもさめた思いで「そういうものか」という以上のことはなかった。仮にそういう進むも進まぬも…という状況だとしても、そのことで受ける栄誉以上より、かけられる圧力の方が、ずっとずっと問題として残り、あとを引きずるのではないのか。「表彰」には裏がある。  今回の国民栄誉賞も、セレモニーの様子をニュースで見る限り、受賞者のお二人の受賞の喜び以上に、称える側・与える側の思惑が露骨に見えすぎて、受賞者の責任ではないだけに、なんだか二人がかわいそうにさえ思えた。このような表彰を受けずとも、このお二人はまさに「偉業」と呼ぶに相応しい。  あまつさえ背番号96である。憲法改正のハードルをさげるために96条先行改正が取りざたされているそのさなかで。それが「はしゃぎすぎ」と写ったのだ。  騒ぎが騒ぎとして大きかっただけに、なんだか残念なことだった。
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