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No.324 国家的弱い者いじめ

エッセイ「多摩川べりから」
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 先日、原発再稼働を巡るバラエティ番組が放送された。内容がくだらなすぎたので途中切り替えたのだが、その中にちょっとおもしろい場面があった。「このまま再稼働したら国家が破綻する」という反対派の意見に「破綻してないでしょ!」というヤジ。  福島第一原発の事故は、原子力事故の国際標準でも最悪と評価されている。日本の広い地域にその影響が現れ、多くの人が事故後27ヶ月に至る今日でも将来が見えない不安な生活を送らされてきている。それでも確かに国家は破綻していない。なぜか。ヤジは「だからそんな心配は杞憂だ」と言いたいのかも知れないが、答えは簡単だ。なぜ破綻していないのか、補償しないからだ。  それを裏付けるのが「アベノミクス三本の矢」。その3本目「成長戦略」に表れている。財政健全化について「経済成長のみでは実現できない。政府は財政収支の改善に真正面から取り組まなければならない。具体的な成果をあげなければ。」と言い、結局何をするかと言えば社会保障費の聖域なき削減。  これを平場の言葉で翻訳するとこうなる。「オレたち特権階級が危うくなることはなんとしても避けたい。本気で取り組もう。手っ取り早く成果を上げるには、なにはともあれ弱い者いじめだな」。  私は1961年生まれだが、誕生日のちょうど3ヶ月後「農業基本法」が公布された。1999年に廃止されるまで、この基本法は日本の隅々まで過疎を浸透させた。過疎という名の棄民政策をわたしたちは是としてきたのだ。農村にもはや収奪するモノがなくなった今、都市部に集中した経済弱者(それは過疎と密接な関係のあるスラム化が引き起こしている)から徹底した収奪をしようということ。  ひょっとしたら国家政策に同調することとは、己の人間性を放棄することなのかも知れない。特にこの国では。
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