ようこそ、川崎教会へ

No.325 飛ぶボール

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 陸上競技で4月から、実は選手たちには内緒にしていたがトラック100メートルを110メートルにしていた、なんてことがあり得るだろうか。プロ野球の公式ボールの仕様が変更になっていたことは、譬えて言えばそんな陸上競技のあり得ない話のようなものではないか。  人間の感覚は時として最新高性能のセンサーに引けをとらないことがある。私はそれほど感性が良いわけではないが、それでも例えば週報を印刷するためにA4の紙を時々きっちり140枚手に取ることがある。印刷の左右の隙に違和感を感じ、印刷のずれをかなり正確に言い当てることができる。ましてその道のプロとして研ぎ澄まされた感覚を日々磨いているプロ野球選手たちが、ボールに違和感を感じなかったわけはない。その違和感が募って日本野球機構との事務折衝に至ったのだろう。  ところがその顛末を巡って野球機構は11日にコミッショナーと相談して決めてきたと記者会見で公表しながら、翌日コミッショナー自身が11日まで知らなかったと言い、事務局もそれに併せて前日の記者会見での内容を覆した。  統括団体とか包括団体とか、つまりいわゆる上部組織が、その下部構成員たちにとって重要なことを伝えないのは、基本的に対等な関係が崩れている、もしくは対等と思っていないということなのだと思う。わたしたちの国にはこの上下関係が、どこを切っても不可逆的に存在し、しかも強固に固定されている。この国を覆う閉塞感は、単に経済や景気だけが原因ではないだろう。  ビジネス書棚に必ず置かれている「サーバントリーダーシップ」関係の本。実は「先の者が後になる」という聖書のことばの実践書だ。現場で働くこと、働く人が、大切にされなければ成功はない、と。だが、先週「国家的弱い者いじめ」と書いたこの国では、組織の隅々までいじめやハラスメント、非対等関係が浸透しきっている。その「実感を、その手に」しちまった。
もっと見る