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No.340 世界の真ん中で「募集」に挑む

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園は新年度の園児募集の季節になった。子ども・子育てを巡る環境が激変する中で、自分たちは一体何を大切にし、何を伝えていきたいのかをただでさえ考えさせられる中、「募集」はそれを公に言い表す時でもある。  折しも、我が国の首相が米国で我が国をモーレツに売り込んでいるというニュースが流れた。「女性が輝く社会をつくる」と演説したらしい。その帰結の一つが「子ども・子育て新法」なのだな、と。この危険性については以前もこの欄で書いた。「女性の活用」だとか「子どもの最善の利益」など耳聞こえの良い言葉は、総じて大きな問題をはらんでいる(に違いない)。  説明会の前夜、小学校PTAで一緒に働いてくださった母の突然の通夜だった。37歳で二人の子どもを残して亡くなる彼女の無念を思った。「死」は人の世の常でありどなたが亡くなっても重大で淋しいことには違いないが、特に子どもが成長するその大事な時期に母を失うことの痛みは想像に余りある。ところが「女性活用」を表明する者たちは、子育てから母親を遠ざけようとしているとしか思えない。しかも悔しいことに私学に対して「補助金増額」というニンジンをぶら下げて、軒並み共犯者に仕立てようとしている。  安価で安定的な労働力の確保という圧力と、少子高齢化という圧力と、相反する二つの要求に、一方は「国際公約」で、一方は「甘いニンジン」で、なんとか事なきを得ようとする。そんな「国益」に、「建学の精神」を捨ててまで協力しなければならない理屈があるか!  本当に女性を輝かせようというのであれば、その人の選択を国を挙げて支えるシステムを構築することに限る。御用マスコミを巧みに使ってつくり出す「風潮」だとか「世論」だとかでミスリードするトリックではなく。正々堂々と勝負したら良いではないか。それでこそ「政策論争」だろう。  わが園も、正々堂々と勝負に打って出よう。
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