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No.344 迷惑かけたくないという社会

 毎週のようにやって来る台風で様々な計画が翻弄されている。前の台風ではまたしてもエレベーターピットに雨水が入り込み排水工事が必要となった。それでも、逆に言えばその程度の被害で済んでいるのだ。
 伊豆大島の被害の深刻さがテレビなどで流れる。今回の台風では前回の経験を踏まえ出来るだけ早く島民に避難を勧めたと伝えられている。テレビでも島外避難する人たちの様子や声が流されていた。
 避難しようとする人たちは一様に「迷惑をかけるから」と仰る。その気持ちは痛いほど分かる。分かりながらしかし一方で、「迷惑をかけるから」という言葉に、猛烈な寂しさを感じてしまった。一体いつから、この国では「生きる」こと自体が迷惑をかけることになり、しかもそれは極力避けなければならないことにされてしまったのだろう。社会や行政はそれこそ人々の迷惑を受け入れることこそが存在意義だと思うのだが、「自己責任」が強調されて少なくない時間が流れ、「迷惑をかける」特に「お上に(=税金を使うこと)」という考え方がさらに強烈に猛威を振い、隅々にまで及んでしまった。
 地方の教会では高齢化の速度が半端ない。一人暮らしの会員の心配事は「もしもの時」のこと。そしてみんな「迷惑をかけたくない」と仰る。だが、残念ながら人間は、一人で死んで一人で棺桶に入って火葬場まで行くわけには行かない。必ず誰かの──必ずしも家族や親族に限らず──手を借りなければ葬られることも出来ない存在なのだ。だから日本語には「お互い様」という言葉があるのだが、最近聴いたためしがない(否、むしろ「使ったためしがない」と言うべきだ)。
 「自己責任」という言葉の方が勇ましい。だが勇ましい分背伸び感ばかり伝わる。「して欲しいと思うことを人にもせよ」という原理は、聖書のことばだからだけでなく、生きる上での黄金律なのかもしれない。