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No.346 世知辛い世に対抗できる?

エッセイ「多摩川べりから」
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  食品偽装に揺れた一週間だった。
 思い込みとは激しいものである。わたしは小さい頃から、芝エビ、大正エビは大きさによる違いだと思っていた。偽装のニュースが流れた時、最初に問題になった関西のホテルの釈明に、「え、違ったの?」と感じたほどだった。そのホテルの中国料理料理長が出てきて「呼び方の習わしだった」と言った「ホラ見ろ」と思った。ところがそれを伝えた某テレビ局は都内の中国料理店で取材して「そのような習わしは聞いたことがない」との回答だった、と伝えた。だが、次から次から出てくる証言は、やはり習わしを伝えている。一体ドウイウコト? どの言い分が正しいのだ? 
 それはともかく、わたしたち消費者のどれほどの人が、車エビとブラックタイガーの違いをかっちりと感じ取れるだろう。
 前任地防府の隣町は車エビ養殖発祥の地で、今でも特産物である。彼らにしてみればその努力の結晶を横取りされた気分になるに違いない。どうして偽装しなければならないかは一目瞭然。わたしたちの価値観の中にしっかり車エビ>ブラックタイガーという定式があるからだ。だが、当のわたしたちは車エビとブラックタイガーの違い──見た目はともかく舌の感覚など、実はあやふやで不確実なのだ。そこにこそ偽装のタネがある。
 インターネットが当たり前になって久しい。そこに流されている情報の真偽は自分で確かめて利用しなければならないというのがメディアリテラシー。だが何もそれはインターネットに限らない。自分の目や耳や舌、そして脳を活用しなければ瞞される。わたしたちの社会はそういう社会になったのだということ。ブランドや価格はかつて真偽の指標だった。安心して頼れた。今は「それをしちゃぁお終いよ」。ここには隅々まで、安心はない。
 イヤなら自分を磨け、自分を鍛え直せ。そういう啓示と捉えよう。
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