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No.353 年の瀬に、思いを新たに

エッセイ「多摩川べりから」
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 人間を大事にするということを抜きにしては、神を大事にするということはあり得ない──
 12月22日、川崎教会のクリスマス礼拝が行われる早朝、Eテレの「こころの時代〜宗教・人生〜」に登場したのは、沖縄の平良修牧師だった。
 今から15年前、縁あって家族で沖縄を訪ね、平良修・悦美ご夫妻と一緒の時間を過ごしたことがあった。熱い胸の内を静かな言葉で語られる牧師にとても励まされたことを思い起こす。あの時「わたしは『社会問題を扱うから教勢が伸びない』と言われることに挑戦したい。」と仰っておられた。足下にも及ばないとはいえ、それはわたしの仕事の動機付けになって今もある。
 番組の中で平良牧師は「イエスは過激派だ。破壊のための過激ではなく、愛において過激だ」と仰った。『神を愛し、隣人を愛せ』は第一と第二という順番として語られているのではなく、隣人を愛することを通してしか神を愛するということを実現できないのだ、ということを表している。だから、隣人を愛することがそのままで神を愛すること。それを疎外するものはたとえ「神から与えられた」とされる律法であっても時に無化するのがイエスだった。そして平良牧師は、沖縄に生きる、ここにいるということが、そのイエスを最も良く理解できると仰った。それはつまり、イエスの語る「愛」を疎外する力が強いところでこそ、イエスの語る「愛」が最も良くわかるということなのだろう。わたしは、わたしの立っているその足が置かれているところをよく見なさいということだ。
 2013年の年の暮れ、わたしたちが暮らすこの国はひょっとしたら大変な局面に立たされているかもしれない。隣人を愛することが不可能になってしまう前に、わたしたちにやるべき事(残念だが、数を増やすことなどでは断じてない)がある。その思いを新たにされよう。
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