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No.354 賀状に思う

エッセイ「多摩川べりから」
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 今年は年賀状を話題のネットプリントでお願いしたせいで、一工程少なくなり、珍しく旧年中に投函できた。こんなことはまずないことなので、今年ヘンなことが起こったらそのせいだと思って欲しい。
 閑話休題。昨年まで年賀状は近くの金券ショップで求めていた。11月1日に各郵便局で一斉発売される年賀状だが、その日に金券ショップには大量に在庫がある。郵便局が民営化されて以後、窓口でも配達でも、局員の名前の入った「年賀状予約シート」が大量に配られている。親しい局員に聞くと、どうやら「○○枚売り上げろ」とのノルマが課せられているらしい。それが発売日に金券ショップの在庫となるのだ。これまた噂だがショップでは一枚40円で売っても儲かるのだとか。となるとショップが局員から買い取る値段はおおよそ想像がつく。「郵政選挙」などと威勢良く「旧体制をぶっ壊す」かけ声で民意を全て持って行かれたのは記憶に新しいことだが、その結果は局員にありったけのしわ寄せとなったのだ。
 年賀状文化は日本の麗しい伝統だと盛んにコマーシャルしている。若い世代にもアピールするためか、スマホで作るアプリも登場した。年始ぐらいはeメールでなく賀状を、という節度は意味があるだろう。だが、それを守る(?)ために局員のみがしわ寄せを喰らう構造は受け入れ難い。局員を踏みにじらなければ文化が守れないなどという現状は、本来経営者が責任を問われるような為体だろう。だが、不思議なことにこの国では、いわゆる「ブラック企業」の経営者の方が社会的ステータスが高い。ということは、この国では他者を(昔は家族も同然とされてきた社員であろうとも)どれだけ「生き難く」出来るかで評価される、ということを社会が証明しているわけだ。その頂点にお坊ちゃま総理。なるほど、納得して良いわけではないが頷ける。
 届いた年賀状には、さもしいこの国の姿が透けて見える薄ら寒い新年。
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