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No.355 川崎大騒動のあとで

エッセイ「多摩川べりから」
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 川崎市は大騒ぎの数日だった。
 逃走の現場となった横浜地検川崎支部は幼稚園からもわりと近く、法務局も入った合同庁舎なのでわたしも何度も歩いて出かける距離。すぐ近くには小学校・中学校があり、周辺には我が幼稚園の園児宅も多数ある。当然騒ぎにならないはずはない。
 今回の取り上げられようは、冷静に見れば加熱しすぎに思える。原因は逃走した青年にもあるが、実際の逮捕容疑以上の取り上げられ方だったのは、「弁護士の接見中に地検から逃走した」という、いわば警察・検察の失態が主たる要素であって、そのとばっちりでこの青年は必要以上にクローズアップされてしまった気がする。もちろん、逃走したことでは何にも解決しない。なのにその方法を選んでしまったことに、青年の未熟さが見える。だがわたしは、発見の情報を聞き、夕方のニュースでその詳細がわかるにつれ、彼を助けた友人たちがいたことにむしろホッとしたのだった。
 誰も彼を助けなかったら、さらに罪を重ね、しかも凶悪化したのではないか。たまたまスクーターに乗った後輩に出会ったと言うが、そうでなかったら例えばタクシー強盗などを重ねてしまったかもしれない。人質を取って立てこもることも考えられる。だからこそ多くの警官が単なるメンツのためだけではなく動いたのだろう(と信じたい)。だが彼には、手助けしてくれる友人がいたのだ。そのおかげで罪を重ねないで済んだではないか。
 人は出会いによってつくられる。誰とどのように出会うかはその人の人生にとって決定的に大きい。最近たくさんの方と面談する機会があったのだが、その度に思いを強くしていたことだった。「更正の望みなし」だとか「仲間も揃って逮捕しろ」だとか威勢の良い意見が飛び交うが、その前に自分を振り返って考えるべきことがたくさん与えられたのだと思えてならない。
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