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No.363 他罰的傾向の持つ殺伐感

 世の中が、どんどん殺伐としてきたとなんとなく思ってきた。荒々しさを感じるというよりは暖かみを感じられなくなってきたのではないかと思う。それが何による感覚なのか、ここ数日に起こった事件を見て、少し分かったように思えた。
 他罰的傾向が目に見えて増えてきたのだ。
 千葉県柏市で起こった連続殺傷事件で逮捕された被疑者は「飛行機をハイジャックして東京スカイツリーに突っ込み、社会に報復したい」と話したとされる。ネット上に彼のものと思われるプロフィールがあって、そこには「セレブニート」と書かれてあったらしい。「暮らしには困らない余裕がある無職」という意味らしいが、捜査当局からは「生活保護」受給もほのめかしているとの情報もあった。
 佐々木正美先生は、経済的な心配が減ることと他罰的傾向になることとの間には相関関係があるという。貧しい社会では悪いのは自分(すなわち自罰)と考える方が多いが、富める社会では責任は他者にあると考える(すなわち他罰)方が合理的なのだ。他者・社会を責める言葉は刺々しさを増す。
 経済成長に陰りが見え始めた頃、盛んに「次はこころの時代」と言われた。だが成長が止まると同時に人々の身分は固定されはじめ、貧富の格差は激しくなり、その境界線を行き交うこと、特にも上に行くことはほぼ不可能ではないかと思える時代。こころの時代は未だ来ない。かの事件の被疑者もセレブニートなのかどうかは本当のところわからない。だが、社会から、特に人から隔絶され、孤独な中に「チャット仲間」(これをもって「仲間」と呼んで良いのか、本当に!)しかいない状況は底知れぬ悲しさ、寂しさを感じる。
 群れの動物はその群れからドロップしたら、まずいのちを存えることはできない。今、ひょっとしたら人間もその線上にいるのだろうか。殺伐。