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No.364 卒園したみんなに

エッセイ「多摩川べりから」
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 長女の高校卒業式。その式辞の中で校長は「心にしっかりと過去形をつけなさい。ここでの日々を「卒業した」と過去形にしたとき、新しい関係が始まるのだから」と述べた。
 高校生ともなると、入るべき学校を自分で選んで決めたという者もある程度はいるかもしれない。それでも学校やクラスは所詮与えられ設定された場に過ぎない。もちろんその場でどういう関係をつくるかはそれぞれに委ねられているとはいえ。だがそこを卒業し、与えられた場の設定から離れるとき初めて、今度は全てを自分の責任で始めなければならなくなる。グループになれとか、お前の席はここだとか、誰も指示してくれない。必要なら自分でつくり、人を集める。生きることが始まりだすのだ。
 卒園していく園児たちに、そのことがどれほど理解されるかは分からない。だが彼ら/彼女らも確かにここでの生活を過去形にして、未来に向かって歩み始めねばならないのだ。「4月から小学校に行くのか?もう一回幼稚園に来て年少からやってみない?」と意地悪く尋ねる園長に「イヤだよ」。「じゃ、年中は?」「ダメ」。「う〜ん、じゃもう一回年長っていうのは?」「ダメだよ、だって小学校へ行くんだもん」。彼ら/彼女らは未来に生き始めている。頼もしいではないか。
 過去形にして、関係が清算され、全て失ったと思ったとき初めて、既に得ていた絆に気がつくことだろう。それがどれだけうっとうしく思ってきたことであったとしても。ここ数年その感情を利用してことさらキャンペーンに仕立て上げるのが流行りだが、そんなものは一人ひとりが内に秘めておけば良い。わざわざ表に出さなくても、つくりあげた人には備わっているのだ。
 卒園生たちに負けないようにわたしも、与えられた場で新しい関係を紡いでゆこう。ご卒園おめでとうございます。
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