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No.365 だれが/なにが悪かったのか

エッセイ「多摩川べりから」
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 ベビーシッターの部屋で預かった子どもが死んでしまった事件は、少なからぬ衝撃を社会に与えた。幼児に関わる責任を負った施設を運営する者としても、大きな衝撃を受けた事件だった。全容が明らかになることを願いつつ、そしてまだ不明な点が多い中ではあるが、敢えてこの問題を考えてみたい。
 都市部のあちこちではいわゆる「待機児童」が社会問題となっていて、それを解消するために自治体は様々な手段を講じている。いや、講じないわけにはいかないところに立たされているというべきだろう。一方で大規模自治体といえども経済基盤が盤石ではないゆえに、何につけてもコストパフォーマンスが要求される。
 保育や介護はコストパフォーマンスが極めて悪い。人を育て世話をするのに手抜きはできないのだからいわば当たり前だ。どこに自分が手抜きされて喜ぶ人間があろうか。となると勢い、その職にあたる人件費をカットする以外にパフォーマンスを上げることは不可能となる。そうなると担い手が少なくなり、ますます目標達成から遠ざかる。負のスパイラルだ。その行き着くところは「女(≒嫁)がやればタダ」という古からの発想にたどり着く。
 例えば川崎は公立保育園がどんどん姿を消している。社会保障費で賄いきれないから、一般でいえば分社化とか身売りとかにあたるだろうか。コストから見たら当然の帰結なのだ。だが、わたしはむしろ逆に考えるべきなのではないかと思う。儲からないからこそ公共事業であるべきなのではないか。社会が育てるということは社会がコストを負担するということである筈だ。だが例えば選挙公約で聞かれるのはいつも前半部分だけで、後半部分を口にする者はいない。だから負のスパイラルに陥る。火を見るより明らかだろう。
 もちろん無駄なことをしろとは言わない。だが無駄というなら別にたくさんしかも目に余るほどあるではないか。珍しく次号に続く。
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