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No.385 いのちを見つめる一週間

エッセイ「多摩川べりから」
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 先週はとても重かった。
 高校時代の同級生が脳腫瘍の摘出手術を受けることになり、身寄りのない彼のために説明を受け、受諾書にサインし、手術室に、そしてICUに訪ねた。その間、大変お世話になった江川幼稚園の前園長石渡先生の葬儀があり、初めて江川幼稚園にも出向いた。ヒロシマの日、ナガサキの日を含むこの一週間、期せずしていのちを見つめ続ける日々だったのだ。
 入院・手術を受けるのは新百合ヶ丘総合病院。2012年に先端医療の拠点病院として麻生区に誕生した。執刀する脳外科の先生はお見かけしたところわたしより一回りほど若い。しかし友人に対しても丁寧に、病気について、手術のアプローチについて、考えられる障壁について説明してくれた。2日間述べ12時間を超える病院でも今年度最大級という手術を終えて、友人のわたし一人のためにも経過を丁寧に説明して下さった。
 その説明を伺いながら、わたしの頭はいっとき全く別の世界をさまよった。お医者さんはどうしてこんな難しく面倒くさい手術を引き受けるのだろう。別に引き受けなければならない決まりはないだろうし、「手に負えない」と判断したら紹介状を書いて転院を薦めることだって出来る。だが彼はそうしない。難しいこの手術を、何日も何日も準備しなければならないこの手術を、どうして引き受ける? いつの間にかそんなことを考えていたのだ。
 だが、誤解を恐れずに言えば、仕事とは本来そういうものなのではないか。自分に利するものが何もなくても、事柄のプロとして引き受けなければならない時だってある。なぜならそれが「CALLING」だから。そうでもなければ「成功して当たり前」という割に合わない事柄には向かえない。
 耐えられない重苦しい日々だったが、しかしなんだか「望み」というものにも触れさせてもらった気がしたのだった。
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