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No.394 ノーベル賞ウィークに

 ノーベル物理学賞を受賞した中村教授の記者会見記事を読んで、さまざまなことを考えさせられた。
 一つは、「怒りがなければ、今日の私はなかった」という発言。今でも時々怒り、それがやる気になっているという。60歳ということだから私より少し先輩世代だが──そしてだんだんと丸くなっていく世代なのかとも思うのだが──、エネルギッシュな印象を受ける彼の原動力が、今でも「怒り」であるということが面白かった。「怒り」は負の感情だという常識をいつの間に身につけたのだろうか。激情を抑えることがソフィスティケートではないかも知れない。香港の学生デモのニュースを見ながら、わたしたちは怒ることを本当に忘れてしまった、置き去りにしてしまったと思った。
 もう一つは、「研究者の自由」ということ。サラリーマン研究者ではなく、良い研究成果を携えてベンチャーになれ、と。日本の環境ではそれが難しいことも自身の経験上よく知った上で、世界と勝負するために必要なこととして語られたのだと思った。
 翻って、わたしはこの教会に集う人に、どういう人になって欲しいと思っているだろうか、と考えた。結局、毎週の説教で語っているのはひょっとしてそこなのだなぁ、と。聖書を読んでなにがしかをメッセージとして受け取った者が、促されて生きることができるようにと。それは決して簡単ではないし、世の常識ともズレてしまうかも知れないし、あるいは逆行することだってあるだろう。それでも、そのように促しを受けたのであれば、結局はそのように生きざるを得ない。だから、あなたが読んだとおり聖書はあなたを応援しているのだと語りたい。権威主義的に聖書を持ち出すのではなく。ひょっとしたら本当にただそれだけなのかも知れない。
 必要なものは多くない。