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No.397 キョーダン総会

エッセイ「多摩川べりから」
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 我が家では「うちわの人」としか呼ばれない松島前法務大臣。子どもたちは「うちわごときで」と言う。確かに、インターネットに出ている意見でも「予算委員会で採り上げるような問題だろうか」というものも多くある。これを採り上げた蓮舫議員も似たような「丸いもの」をつくって配っていたこともあって、非難の応報のようになってしまったが為に「…ごときで」という感想が出てもしかたないのかも知れない。だが、問題の方は「法務大臣」なのだ。
 法務大臣とは日本のあらゆる法律の元締めみたいなものだろう、良くわからないが、たぶん。だから、たとえ「うちわごとき」ものであっても、「価値ある品物の配布を禁じた公職選挙法」に照らし合わせて少しでも怪しいのであれば避けるべきだったのだ。それが「法務」大臣たる腕の見せ所だったのではないか。「私としては問題ない」ではなく、「法的には微妙だと思う。今後はいたしません。」ぐらいにしておくべきだった。それで許されるかどうかは別問題としても。
 そもそも「法」とか「規則」を持ち出す者は、まずその切っ先を自分にこそ向けるべきだ。そして「どうせお互い守れないのだし」みたいなハードルの引き下げではなく、やはり高い理想を目指して切磋すべきだろう。
 だが、法や規則を持ち出す者は、案外自分が法や規則に対してずぼらであっても知らんぷりを決め込む者が多い、気がする。特に相手を貶めるためにそれを利用しようとする者は。そのくせ思わぬ反撃を喰らうと「信頼関係が崩れた」と、以後会話を絶ってしまったり、強圧的・権威的になったり…。
 「人を呪わば穴二つ」とは良く言ったものだ。それも、個人の性格に由来することであればまだしも、「真理を扱う」と自負する宗教者集団にこういう輩が多いとは、なんたることだろう。
 嘆きばかりではあるが、それで解決するわけでもなし。わが身を切磋せねば。
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