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No.401 戦略的投票行動

エッセイ「多摩川べりから」
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 2年前、やはり12月、「自民圧勝」の声が投票前から飛び交い、事実それが現実となったとき、教会では小さな集まりで「ナボトのぶどう畑」の箇所を読んでいた。王妃の悪巧みを市民が承認したという点を取り上げて、われわれがこの結果を望み選んだのだという事実を、悔しい思いの中で噛みしめた。事態はこの2年間さらに暗さを増してきた。あの頃言えたことが言えなくなる、あの頃調べたことが調べられなくなる、あるいはそれだけで法に触れる時代になった。そうやってどんどん茶色の世界になってゆくのだろうか。
 今回も既に「自民圧勝」が聞かれる。そもそも、現政権に反対の者は増税にも反対の思いが強く、10%延期は評価される。現政権に賛成の者は言うに及ばず。当然現政権に有利になる。しかも政治不信は加速するとなれば、基礎票ですべてが決まる構図。これもまた現状に有利に働いている。
 毎日新聞web版の「第47回衆院選」に面白い記事があった。「投票先に悩むアナタへ…「戦略的投票」のススメ」。支持できる候補者がいない場合、恐らく多くは棄権する。だが、「どちらがより支持できないか」「どちらがより嫌いか」で、支持できない嫌いな候補者を落とすために投票する、というのが戦略的投票。支持する候補者が当選しそうにない場合には、死に票にせずにより近い別の人を敢えて選ぶということも戦略的投票。自分の利益を最大にする、あるいは不利益を最小にする選択はあっていい、権利だ。
 そもそも民主主義は時間のかかる手法だ。だから権力者はもっと効率よく全権を掌握したがる。昔森元首相が「選挙に行かず、寝ていてくれれば」とは正に権力者のホンネだろう。一方市民もその手間を惜しむようになればなるだけ、理想は遠のき、遠のけば遠のくほど不信になるという悪循環に陥る。もう既にその悪循環のまっただ中ではあるが、だからこそ、ゲームのように戦略的投票をしてみるのも、意味が十分にあるように思う。
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