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No.404 立ち位置

エッセイ「多摩川べりから」
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 立ち位置というものがある。
 「発言・行動する際の、全体状況の中に占める位置。」(大辞林)のこと。だが単に位置関係についてのみではなく、人間関係について言う際にも使われる。身の振る舞い立ち居振る舞いのことまでも意味するようだ。
 普段あまり気にかけないのだが、何処にどういうふうに立つかということが一つの意図を持ったりするのだ。ぼんやりと立っているのではなく、その姿が意図を表現する。
 例えば牧師がどのタイミングで礼拝堂に入るか、講壇に立つか、祝祷にどういうポーズをするかは、こだわりとでも呼びたいほどに意図を持たせている。だからそれに差し障りがあると意図したことが出来なくもなる。そこまでの思いが込められているなんてことは他者には伝わりっこないのだから、思いっきり自己満足ではあるのだが、それでもやはり表現を邪魔されるとかなり気分を害したりもする。身勝手ですみません。
 幼稚園のクリスマス会は、もちろん子どもたちが主役なのだが──そして主役は自由闊達で構わないのだが──そこにいる大人たちの立ち居振る舞いは気にかかってしまう。なまじ自分が立ち位置にこだわるからなのかも知れないのだが。さらには子どもたちを十分に見せるためには臨機応変な対応も求められるので、能や歌舞伎のように意味のある立ち居振る舞いをしていることは必ずしも出来ないのが当たり前ではあるのだが。それでもやはり気にかかってしまう。
 要は自分の立ち位置についてどれだけシミュレーションしているか、ということなのだろう。自分のことを自分は案外気づかないものだ。もちろんそれが面白いところではあるのだが、それでもやはりちょっと立ち止まってみる必要がそこにはあるように思う。
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