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No.406 お正月を味わうとき

エッセイ「多摩川べりから」
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 年末年始、特別な何かを期待していた子どもの頃と違い、なんの計画もなくただただ「休日」を過ごした。子どもたちもそれぞれに予定があったり放っておいてほしかったりなので、ますますなにもせずに過ごせる(7日ごとに日曜日が来てしまうのは、致し方ないなぁ (-。-) ボソッ)。
 今年は思い切って2日に浅草に出かけた。目指すは浅草寺、ではなく浅草演芸ホール。この日は朝からテレビ収録が入っているから、それが終わった頃を見計らって入場。新春顔見世特別興行といって一人持ち時間が3〜5分という短い中でアピールして次々に噺家が登壇する。演芸ホールは一度入場したらいつまでいても良いので、ついつい「あの人が出るまで」と長居し、気がつくと4時間以上を過ごしていた。
 ある噺家が、日本のお正月情緒はもはや寄席にしかない、と言う。本当にそうかも知れない。記憶にあるお正月はもっとのんびりしていた。その分年末は準備のために忙しいものだった。買い忘れがあると、次に店が開くのは5日なんていうこともざらだった。だが今は24時間365日、どこかが必ず開いている。それを維持するためにじつにたくさんの人がそこで働いている。その人たちを含む家族にはのんびりしたお正月はないのだ。
 師走の選挙、争点は「景気」だと。政治家も有権者さえも「まず景気」と言い切るのがこの国。分からないとは言わない。だが、経済とはそもそも「経世済民(世を治め民を救済する)」。目先の利益を求めることとはかけ離れた思想ではなかったか。だが、有権者までもが「目先の利益・収支」にのみ目を奪われる、あるいはそのように仕向けられ、仕向けられたとも思わない状況では、一部の人のやりたい放題を止めることさえ出来ないだろう。
 お正月のめでたさを味わいたい.十分に味わいたい。めでたさを次の世代に引き継ぎたい。先を生きる者の使命を、再度心に留めた。
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