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No.407 嘘くさい世の中

エッセイ「多摩川べりから」
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 もう卒園記念写真を撮影する季節になった。
 毎年年明けに年長組が全員園服を身にまとってこの撮影に臨む。冬期休暇明けに加えて乾燥の激しい寒い季節、全員が元気に揃うことはなかなか難しい。今回も2名の欠席があったが、これ以上日をずらすと、ひょっとしたらもっと大勢が体調を崩すやも知れぬ。ぎりぎりの選択で9日予定通り行った。
 カメラマンが「お膝をくっつけて、カメラを見てね」と声をかけ、続けざまに10ショットほど。かなりの緊張とストレスだ。大概途中でダレてしまったり、撮影が終わった途端にぐちゃぐちゃになったりする。だが今年、「では一番前の人から順に戻るよ」のかけ声がかかると、整然と場所を離れ始めた。まるでついこの間のページェントの退場シーンを思わせるように。
 一朝一夕でこの境地に達したわけではない。彼らにとってあのクリスマスの緊張がきっと心地よかったのだ。だから、撮影が終わったあとも、まるでスポットライトを浴びているかのように胸をはって退席できたのだろう。
 経験とは、それが次の行動へと繋がって実りをもたらすものなのだろう。そして実は単純な生活体験を経験する機会が、どんどん失われている。高度に利便性が上がった社会では、生活に係わる部分がどんどんアウトソーシングされる。そして対価を払って結果だけ得る。それで済むからだ。
 先週テレビを賑わしたのはハンバーガーショップの異物混入事件。単に異物が入っていただけでなく、その対応を巡る不始末や会見での空しいことばが盛んに取り上げられていた。企業の、特にも食べ物を扱う企業の社会的責任を声高に追求するのはわかる。だが、いのちに関わる事柄をアウトソーシングして、結果だけ手にしようとする以上、このリスクは避けられない。だから、某ハンバーガーチェーンは今日もたくさんの客を呼び込む。
 生活から生活臭さが抜けてしまった。だがきれい事はやはり嘘くさい。
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