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No.409 園庭から世界を想う

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園は昨日、「お父さんと遊ぶ日」だった。伝承遊びの数々を園庭やお部屋に用意して、好きなところでお父さんと遊ぶ。それからお飾りを割ったお餅を入れたお汁粉を頂いて、お父さんと一緒に帰る。以前は一つひとつ違った日に行事設定していたが、一緒にやれるのではないかと、数年前からこのスタイル。今年は110名を超えるお父さんが参加された。
 三階礼拝堂が羽根つきの会場となっていて、外階段から礼拝堂に向かう間、踊り場で庭の様子を伺った。お父さんと一緒に楽しそうに遊び込む子どもの姿、それをまた嬉しそうに見ているお父さん、あちこちで歓声が上がり、太い声も混じっている賑やかな風景。月並みで思いっきりベタな表現が気恥ずかしいのだが「平和なんだ」と改めて強く思った。
 もちろんその笑顔の陰に胸に秘めた辛い思いを抱えている人もいるし、厳しい中を生きている人もいる。だれもノー天気なのではない。必死であることには違いない。だが、であればなおさら、この時間この場所で平和に過ごせるそのひとときが幸せでなくてなんだろう。
 二人の日本人捕虜殺害の予告ビデオが流された。またぞろ「自己責任」という言葉が浮かび上がる。多くの一般人がまるで評論家のようにこの事を取り上げるそのかまびすしい空気こそが重苦しさを募らせる。いのちを脅かされている人がいて、そのことを苦しんでいる家族がいる事実の前に、「陰謀だ合成だ、その裏には…」と評論することが僅かでも意味を持つだろうか。「所詮は他人事なのだから言いたい放題」が表現の自由だとでも?
 生きるのが辛く厳しくても、だからこそ、ひとときを本当に幸せな時間として過ごす。幸せを味わい尽くす。そうしたらまた一歩小さくても歩み出すことが出来るのではないか。大所高所にいずともそれで。昨日の園庭は、自ずとそんなことを考えさせる場所だった。
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