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No.411 責任をとるという意味

エッセイ「多摩川べりから」
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 「責任」ということを考えさせられる。
 「責任がある」「責任をとる」というのは、具体的に何をすることを意味しているのだろうか。
 教会担任としての牧師が責任範囲としているのは第一に教会と教会員、その関係者あたりかと思う(もちろん、世界中全ての人への伝道の責任があると言いたい方もおられるだろうが…)。そしてその方々へ「責任を果たす」ということはイメージがわく。
 園長として責任を負う範囲は幼稚園の課題の全てであろう。そこで「責任を果たす」とは(例えば園内での怪我など)最終的に園長が関係者に謝罪するとか、誠意を尽くすとかにかかるだろう。
 ビジネス書などには、経営者の姿勢とか、新入社員の心得とかの項目で「責任をとる」ということが懇切に述べられているだろう。そこには「責任をとる=辞任・減俸」ではない、と書かれているに違いない。「辞めりゃいんでしょ」が責任の取り方ではないことなど、当たり前のことだ。
 日本人人質二名が殺された事件。衆院予算委員会で首相は「日本人の命(を守る責務は)、すべからく国の最高責任者である私にある。その責任を引き受けるのは当然のことだ」と語ったらしい。それでどう責任をとるのかに当然注目が集まるわけだが、それが今のところ憲法改正と集団的自衛権行使以外に見えない。先の無責任社員風に言えば「厭なら選挙で落とせ」とか(ア、既にそんなこと言ってしまっていたなぁ)。
 70年間戦争を経験せず、戦争によって他国人を殺しても来なかったこの国のこれまでの「普通」を捨てて、テロを誘致してまで「普通」に戦争もする国になろうとすることが、今回の事件の「責任の取り方」なのだろうか。
 目指そうとする方向が、違いすぎる。
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