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No.430 6月の特別な日々

 毎年6月が来ると23日24日26日の3日を覚える特別な礼拝を捧げる。今年は今日21日がその礼拝の日にあたる。
 先日、神学校での「キリスト教概論」第9回目の講義は、日本におけるプロテスタントキリスト教の近代史として日本基督教団創立前後から戦後主に1970年代までを学んだ。この授業の最初に上記の3つの日付を提示して、これが何を意味するのか学生に問うた。中に一人、沖縄・宮古島からの学生がいてさすがに6月23日についてはよく知っておられた。だが24日については自信のない人がほとんどで、26日に至っては全く認知されていなかった。ちょっと残念だが、しかしそれは充分に想定していたことでもある。
 1986年11月、第24回教団総会が箱根・小涌園で行われたとき、わたしは神学生でかつ教団事務局のアルバイトでその総会の裏方をしていた。そしてあの「旧6部・9部教師及び家族、教会に謝罪し、悔い改めを表明する集会」に臨んだ。その後、赴任した先の奥羽教区総会でも同様の集会がもたれた。以後、わたしは自分が牧会する教会で毎年必ず6月に「沖縄の日・教団創立・旧6部9部弾圧記念礼拝」を捧げてきた。それは86年のあの集会に参列した者としての最低限の責任を果たすあり方として、そして自分がいとも簡単に他者を切り捨て、忘れ去ることで自分を守ろうとする存在であることを覚え続けるために、この日を刻もうと思ったからだった。
 だから、そういう集会に臨席することの叶わない学生たちが6月26日のなんたるかを知らないのは当然だし、だからこそ伝えることの責任も覚えるのだった──「キリスト教概論」という講義がそれに相応しいかどうかはともかく──。
 わたしは、受け取ったことをそのまま伝えようと思う。あとは受け取った人に委ねて。それが今日この教会でこの礼拝をする意味でもある。