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No.443 安保法案ラプソディ

エッセイ「多摩川べりから」
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 衆議院での可決から60日を迎える──つまり60日ルールが適用可能となる──9月14日、再び国会前に出かけた。この日も議事堂前の車道は人で埋め尽くされた。しかし、声は届かない。
 参議院特別委員会で採決された17日もやはりたくさんの人が議事堂前で声を挙げた。参議院本会議が開かれたという議場の情報がもたらされる中、前日の勢いそのまま安保法案への反対の声が響き渡った。
 一向に議論は深まらないし、むしろ問題がさらに混迷する一方、「十分に審議は尽くした。決めるべき時には決める」とのかけ声で、大理石の美しい建物の中でだけ全てが決められていく。経済界も武器輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表した。戦争で得しよう儲けようとする、これまでは日陰の存在が、大手を振って日向を闊歩しはじめた。
 国会議事堂の最寄りの駅から川崎に帰ってくる間、どんどん普通の暮らしに戻っていく自分に違和感を覚える。国会前に4万人集まった、12万人集まった。だが、途中の駅でその殆どが霧消し、川崎に着く頃にはひとりぼっち感が半端なかった。それが現実なのだろう。だが、だからこそ自分が暮らすこの場所で、あそこと同じように自分の意思を表明し続けることにとてつもなく大きな意味があることを思う。
 もちろん川崎では反対の意思がハッキリとは見えていないだけで、誰も声を挙げていないのではない。不思議なのだが、半端ないひとりぼっち感にうずくまると「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」との声が、妙にリアルに頭の中に響く。このわたしに、だよ。
 牧師は社会的発言をするなという。バカなことをいう。もしわたしが黙れば、この町の石が叫び出すさ。神の民が大勢いるのだから。
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