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No.448 歌が歌われるとき

エッセイ「多摩川べりから」
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 カーラジオから「里の秋」が流れてきた。「流すのは今だよなぁ」と思いながら聞き入った。そして子どもの頃からよく聞いた歌なのに、おや、と思った。父がいない。
 最初単純に、「父親は出稼ぎに出ているのかな」と思った。わたしが育った環境では、冬の間父親が出稼ぎに行くのはよくある光景だった。わたしの父も2年ほど出かけたことがあった。家は11月になれば冬囲いといって、窓という窓を塞ぐ。屋根から落ちる雪でガラスを割ってしまわないように、冬に向けて準備をするのだ。一日中蛍光灯をつける生活。寒さと暗さは淋しさに繋がる。父のいない不安を歌った童謡なのだろうと勝手に思っていた。そして主人公はきっと男の子だろうとこれまた勝手に思っていた。自分の経験がそういう発想を呼んだのだ。
 ところが、歌が終わってパーソナリティが「この歌は昭和20年に初めて歌われた、戦地からまだ帰らない父親を思う娘の気持ちを歌った歌です」と紹介された。驚いた。そして納得した。調べてみるとこの歌にはまだまだ秘話がたくさん隠っていたこともわかった。
 ところで、この歌詞に「おせど」という言葉が出てくる。「しずかなしずかな里の秋 おせどに木の実の落ちる夜は」。おせどとは「お背戸」、つまり家の裏口もしくは裏庭という意味らしい。今ではほとんど使われることのないことば。ひょっとしたら「栗の実にてます いろり端」の囲炉裏だって今見ることはないだろう。となると、歌の世界をイメージできる人はどんどん少なくなっていくということだろう。童謡は特にそれを感じさせる歌詞が多い。かといって現代語訳にしてもヘンだし。
 歌のもつイメージ、それが生まれ出る背景、そこに込められた思い。様々なことを読み取る人でありたいと思いながら、聞き入った。
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