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No.450 民が問われる時

 沖縄・辺野古でとんでもないことが起こっている。残念ながら首都圏にいるとテレビも新聞もこの事はほとんど触れない。だがわたしたちには誰でも簡単に情報を発信する手立てがある。新聞はおろかテレビでさえもついていけない速さで映像つきの情報が飛び交っている。
 辺野古で新基地を建設する本体工事の着工に伴い、警視庁の機動隊員が大量に投入されている。一説には一泊一部屋5万円前後の高級リゾートホテルに宿泊し、辺野古で基地建設に反対するお年寄りたちと小競り合いをしているらしい。県民にけが人が相次ぎ、救急車が多数出動する事態になっている。
 「民意」ということを考えさせられる。山口に住んでいたときも「民意」が問われた。上関原発建設、そして米軍岩国基地強化。今この時の日本の現状を少し先取りしていたのかも知れない。例えば県知事選挙や市長選挙は「民意」と呼ばれる。反対か賛成かを争点としているから、確かに問題に対する二者択一。時の政府の意向を踏まえた側が勝てば「民意は明らかになった」とされて、粛々と関係工事が進む。岩国では住民投票が行われた。投票率が50%を切れば投票そのものが無効になるという厳しい条件の下、住民投票は成立し基地強化反対が多数となった。基地問題が争点の一つではなく、それ自体が問われた完全二者択一で基地強化反対が多数であればこれも「民意」の筈。だが時の政府の意向に沿わないこの結果については官房長官が「民意だ」とはついに言わなかった。「民意」とはそういうことなのだ。言葉の厳格な意味で「民」の「意向」ではない。
 「民主主義は選挙だ」との説はごもっとも。だがそこで現れる事柄は必ずしも民主的ではない。結果がまずあって、それに併せてあらかじめ定められたことが罷り通るという仕組み。これは「やらせ」であって「民意」ではない。
 民主主義って何だ?