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No.452 人を「数」で語るのはやめてみないか

エッセイ「多摩川べりから」
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 パリで同時多発テロ事件が発生したことは世界中に衝撃を与えた。死者が130人を超え、負傷者も多数あるという。Facebookでは自分のプロフィール画像をフランス国旗を透過したものに替えるキャンペーンが繰り広げられた。だがこれに対して、「シリアでは25万人以上が殺されている」として、フランス国旗を巡るキャンペーンに疑問を呈する意見も多数目にした。
 130人と25万人。その両方の、圧倒的な数字に驚愕する。だが、人を数字で語ることはヤメにしていいのではないか。昔よく言われた。「人を殺せば殺人罪、戦争では多数殺せば英雄」。多いか少ないかを、少なくとも人の「死」の数で競うことはどうしても受け入れ難いのだ。シリアであれフランスであれ、理不尽に暴力で殺される人は、たった一人あっても世界はこれで揺らぐべきだ。数が多いから問題なのではないし、まして「相手より多いからもっと問題」なのでもない。
 日本で安全保障法制が審議され、「良くわからない可決」された委員会開催日や本会議開催日に、矢も楯もたまらず国会前に出かけた。夥しい数の人が集まっていた。しかしその数を巡って議論が起きた。主催者発表と警察発表とがあまりにも食い違っていたからだ。もちろんそれぞれに根拠ある数字なのだと思うが、数の大小が成功か失敗かを決するわけではあるまい。こんな時はたとえ何十万人集まっても「主催者発表では3人でした。」ぐらいのユーモアがあってよいではないか。
 理不尽な暴力の犠牲者は、たった一人であっても世界は揺り動かされるべきだ。数の大小で競う問題ではない。むしろ今は静まって一人の命が理不尽に奪われたその事実を噛みしめて悼みたい。そして、いともあっけなく数の多寡を判断基準にしてしまう自分の愚かさを省みたい。いのちのリスクはいつだって一人に一つ。そこからしか平和を望み見ることは出来ないのだ。
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