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No.458 笑うカドは曲がりカド

エッセイ「多摩川べりから」
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 先週日曜日が終わると、穏やかな年の暮れとなった。なんとなく暖かいのではないかと思って調べてみたら、ちょっとびっくりした。
 元日の東京の気温が記録されているサイトがあった。一覧で眺めると1961年から、つまりわたしの生まれた年から記録されている。その中で過去10年間を見ると2016年は2番目に高い。気象庁の発表では最高気温12.1度、最低気温3.6度。過去10年最も高かったのが2014年の元日。最高気温が15.5度、最低気温が3.1度。逆に最も低かったのが2006年。最高5.6度、最低0.9度。2番目が2015年。最高6.6度、最低2.4度。そしてこの2年を除いてすべて8度後半以上を記録し、うち5回が10度以上となっている。やはり暖かいのだ。
 元日のテレビで、やがて日本ではりんごやみかんが食べられなくなるという。その要因はTPPか、と一瞬思ったが、実はそうではない。栽培に適した気温に変化が生まれることにあった。最適地が北にズレてしまうというのだ。では北の地域でみかんを生産すればよいと思うのだが、ある頃から適地になったからといって急に生産できるわけではない。農業技術には蓄積された知恵が必要なのだ。もちろん数十年のスパンで獲得できるものかも知れないが、その年月の間にさらに気候変動の影響を受けてしまうことになる。技術や英知の蓄積が、気候変動のスピードについていけなくなるということだ。
 気候変動には人間の過ちも大きな責任を負っているという。事実そうだろうと思う。だが、政府間パネルは結局問題を経済という尺度で解決しようと試みただけで終わった。原因も対処法もわかっていながら、過度に経済に依存したわたしたちが、その生活をどれだけ改められるかは、無責任なようだが自信がないということだろう。一方、気候変動はもっと大きなダイナミズムが引き起こしているという説もある。そうかも知れない。
 確かにわたしたちは曲がり角にいるということに間違いはなさそうだ。
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