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No.459 暦をめぐるそんなこんな

 「六曜が書かれたカレンダー」の配布を巡って、大分県でちょっとした騒動になっているらしい。
 「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」六曜が、公的に配布されるカレンダーやダイアリーに記載されているのはよろしくないという理由から「佐伯市10年ダイアリー」5万部の配布を一旦中止したが、約2500万円かけて製作したものを廃棄することも難しいため、市長の政治判断でお詫びとお断りの文書を付けて配布することとしたという。
 牧師仲間のごく身内で、「カレンダーに六曜がないと不便」という話があった。日本の教会の高齢化をよく物語っている。というのも、地域によっては火葬場が六曜の特定日を休業としているからだ。その日も困るが、都市部などでは休業の翌日は大変に混み合ってしまう。そんなこんなで葬儀の段取りを進める上で、「六曜」が重宝するらしい。「キリスト教」と「六曜」とが、こんなかたちでお互い引き合うのは、なんだか妙な気がするのだが、ある意味状況をよく反映している話でもある。
 ピンとくる人にはピンとくるのだが、旧暦であれば六曜はわざわざ暦注として記載するまでもなく決まった話。日の吉凶を占うことがそもそもの始まりだったかも知れないが、実はそんな迷信めいたことよりも「六曜」の名は実に良く体を表している。さらに、物事はその本質にかかわらず、たとえ誤解からであったとしても、流布したように広まっていくものだ。それはことさら六曜だけではない。キリスト教にもいわゆる俗信・迷信の類は、挙げればきりがない。「正しさ」とか「正確さ」はこの場合、ほとんど「無意味」と同義語なのだ。
 事柄の本質に迫ることが、雑学と同程度なのもどうかとは思うのだが、まずは2500万円が無駄に廃棄されなかったことを良しとしようか。