エキサイトブログ


No.461 食べ物を考える

 食品廃棄物の転売問題がニュースを賑わしている。あるテレビのディレクターが「廃棄物じゃなくて生ゴミですよ。それを流通させて、われわれが食べさせられた。そういう話ですよ。」と言ったが、わたくし的にはそういう総括は出来ないなぁ。
 自分の生育歴を顧みると、様々な社会現象に翻弄されてきていることがわかる。例えば小学2年の終わりに学校が完全給食になった。だが食べさせられていたのは古米・古古米処理のための、うまいと一度も思えなかった玄米パンだった。そもそも学校給食自体が米国の小麦剰りを解消するためにパン食で行われたものだと聞いたし、農村を電子レンジを積んだキッチンカーが走ってパンに合うメニューを周知させ、レンジを売りさばいた事実も幼いながら目にしている。ものを喰うとはそういうことと無縁ではなかったのだ。まずい玄米パンは当然ながら残飯となった。多量の残飯が社会問題になった。弁当屋やコンビニが登場し、食料品・加工品の大量廃棄が問題になり、世界から非難を浴びた。だが今回もっと驚いたのが、食べ物を食べ残した残飯だけでなく、そもそも食卓に上る前に件のビーフカツで4万枚(!)、味噌144トン(!!)、冷凍マグロ2トン(!!!)が捨てられていたというのだ。この国では一体どれだけ食べ物を捨てるのだろう。
 事件の中心となった食品会社の実質的経営者と呼ばれる人がテレビで語っていた。「オレたちは腐ったご飯でも洗って食べたりして育ってきたんだ。」。この説明を呆れた言いぐさだと報道するのだが、むしろわたしには彼の思いの方が心に響く。確かに「生ゴミ」だと言うならそうだろう。だが「それを喰わせられた」と怒鳴り散らす気にはどうしてもなれない。貧困の問題やフードバンクのことも心に引っかかる。そういう心境では、今回のことをヒステリックに「生ゴミ喰わせた」と叫んで済ませられない思いが、どうしてもある。