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No.465 人が人を世話する、のだが

 園バスのルート上に「川崎幸警察署」と件の老人ホームがある。容疑者逮捕の当日はどちらも大勢の報道陣が詰めかけ、多数のカメラが据え付けられていた。この街では、こういう光景さえも慣れっこになった。空恐ろしいが。
 それにしても…。
 ベランダから抱え落としたということも衝撃だが、日常的な虐待があったことも報道されている。それらを理由に行政処分も科された。それでも、当該施設が営業を続けているということは、ニーズがあるということの証しだ。
 これを幼稚園に当てはめたら、恐らく営業は続けられまい。社会的・道義的責任を感じてのことだけでなく、もはやそういう施設はいらないという烙印を押され、抹殺されるだろうから。昨今の保育政策を鑑みれば、少子化がもたらす明らかな斜陽産業なのだ。辛うじて「女性の社会進出」の手立てとしてのみ存在意義が与えられているようなもの。それをわざわざ救う必要はない、淘汰されて当然と判断されてしまうだろう。
 だが、老人施設はそうではない。もちろん評判は落ちるだろうが、ニーズは多量に・長期に存在する。放っては置かないだろう。件の施設も、経営本体は増収・増益らしい。だが問題は別なところで待ち受けているようだ。それが、業界の圧倒的人手不足と、働く側の質の低下だと指摘する声がある。
 虐待や虐待めいたことは、件の施設だけの特別な問題ではないらしい。介護職の方々のネット掲示板には、切実な思いが多数綴られていた。思いを持つ人は確かにいる。だが全体ではなく、しかも少数なのだ。
 「人材確保どころか、人員確保もままならない」という言葉は、人と関わる仕事全般に警鐘として響く。人は「人を世話する」ということにもはや幸せを見いだせない、いや、見いださないということなのかも知れない。
 殺伐感だけがどんどん増幅する。