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No.473 あぶく銭のもたらす夢

エッセイ「多摩川べりから」
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 ふるさと納税についてのニュースを見た。「転売可能な返礼品の自粛要請」という。背景に返礼品をめぐって自治体間で競争が過熱していることがある。金券や電化製品などを返礼品としないよう要請するという。
 確かに、実質2000円の負担でおいしい思いが出来るとワイドショーなどでは盛んに宣伝されていた。寄付の上限が引き上げられ、手続きが簡単になり、一括でできるウェブサイトがあるなど、利用する側にとっては「お手軽でお得」感満載だ。「やらなきゃ損」とは言わないまでも、そう思わせる、これもいわば一つの情報操作だ。
 一方この制度は、寄付した人が自分の住む自治体の地方税を控除される。そのため、寄付する人が多く住む自治体は、その分持ち出しが増えるわけで、例えば横浜市は約5億2千万円の持ち出し超過、すなわち赤字で日本一だそうだ。横浜市在住のコメンティターは「困る」と気勢を上げる。
 人と物の流れが過疎を生む。1961年の農業基本法発布以来55年のこの非可逆的現象をどうするのか、問われるべきはそこだったのだと思う。だが、「ふるさと納税」は残念ながらその根本を見失わせ、あるいは気づかせぬまま、全く別の現象──しかもかなり深刻な後遺症を伴うであろうと思われる現象を生み出しつつある。
 地方にとっては、ふるさと納税というシステムに依拠した寄付金は、全く一過性のあぶく銭だ。仮にそこに頼り切った政策を始めてしまったら、その後どうやって埋め合わせるのだろうか。頼りにならない一過性のものを頼りにし始めたら、それは終焉へ向かって加速するだけではないのか。
 だが、この国は、かつて味わったバブル以来、あぶく銭を欲する現象が常態化しているのかもしれない。副大臣の言葉が厭に現実味をおびる。「戦争が最大の不況対策だ」と。
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