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No.506 生き残ることの意味

エッセイ「多摩川べりから」
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 「キリスト教保育連盟は認定こども園推進なのか?」と疑うほど、最近神奈川部会も、全国に関わる研修会や講演会も、そのテーマに関係することが詰まっている。地方で教会幼稚園が生き残りをかけているという現実を──その切実さの中で数年格闘した身としては──わたしも知らないわけではない。だが、とどうしても立ち止まってしまうのだ。
 教育と福祉の違いは、法の範囲で行うか、問題に即して行うかの違いに思える。幼稚園は法で決められたこと以外を行うことは出来ない。福祉はニーズがあれば法を飛び越えて先ず問題に取り組み、法整備を後から要求する。その構造の違いは圧倒的だ。そして例えば認定こども園は法律内にとどまっていた幼稚園に、問題に即して実行できる機能をプラスするものだ。だからやりやすいし動きやすいし、経営上の大きなメリットにもなる。必要な者にとっては喉から手が出るほど必要なのだ。
 だが、例えばそれは「福祉」という分野での競争も意味する。教育はいわば競争は当たり前だ──それはそれで大問題ではあるが──。だが、福祉にはそもそも競争などあってはならないのではないのか。教育は残念ながら依怙贔屓だが、福祉は博愛主義ではないのか。それともそれは幻か。
 教会の現場でも「教会が生き残るために」みたいな問いの立て方が流行っている。生き残るために伝道する、生き残るために受洗者を増やすetc.etc...。だが、教会ってそういうものか? 教会幼稚園が生き残るために福祉の分野で競争する、出来ることは何でもやる、経営なのだから、と。本家の教会が「生き残るために」何でもやるというのだ。当然教会が関わる福祉の分野も教育の分野も、あらゆる分野で「生き残るために」必要なことは何でもやるのだ、文句があるか、と。
 やれやれ、この世間よりずっとずっと殺伐感を感じるのはなぜだ?
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